湖北・湖南省周遊~武漢~
10/13~1週間、中国内の武漢・張家界・鳳凰の各都市を旅行しました!
東京の時の語学学校の先生と2人旅。列車やバスを使って、今までにない新鮮な旅行をすることができました。
先に総括すると、中国は本当に広くて、場所によって様々な人の生活ぶりがあるということ。いいとこも悪いとこも含め、また中国人を少しばかり理解できた気がします。
では、旅の記録を始めましょう。まずは武漢から!
北京から飛行機で約2時間、湖北省武漢へ到着したのはもう夜でした。武漢の第一印象は…空気が汚い。。。まさに「highly polluted」という感じ…ごほっ。
少し迷ったりしたが街中で先生と待ち合わせ、その親戚と一緒に長江の夜景を見に行く。
あぁ、ついに来たなぁという感慨深さあり。初めて「長江」という単語を覚えたのはいつだったろう。黄河と長江、どっちがどっちだ、と勉強したのはもう10年以上前だ。ここを訪れる日がくるとは、あのとき思ってもみなかった。
みんな川沿いでお祈りの気球みたいなのをとばしていました。高く浮くほどご利益があるらしい。
あとは租界地区の名残も見ました。清の時代、天津条約で漢口は開港され、各国の租界がおかれたのですね。この日は夜ごはんを食べて解散。
翌日、まずは朝ご飯から。
人が入ってる店なら大丈夫だろうということで、こんなお店に。武漢名物の熱干面という、汁のない麺を食べました。こんな場所ながらなかなかに美味。
豆乳みたいなのも飲んでみた。甘いっ
午前中は、東湖という武漢市内最大の山水庭園へ。広すぎるので一部しか歩きませんでした。杭州の西湖と並ぶ景勝地ということですが、少しさびれた印象。30年前ににぎわった観光地だけど、今は地元の人が散歩にきている、という勝手な解釈。
公園の中にあったこちらの建物は、行吟閣といいます。
建物の裏側にまわると、建物ゆかりの人の銅像が。誰だろう…と調べてみると、屈原でした!
屈原というと、戦国時代の人で国の将来を憂えて石を抱いて入水自殺した、ということしか記憶にない…。帰宅後Wikiで調べると、こんな記事が。
後に屈原の無念を鎮める為、また、亡骸を魚が食らわないよう魚のえさとしても人々が笹の葉に米の飯を入れて川に投げ込むようになったと言われ、これがちまきの由来。
本当か気になりますが、話を戻しましょう。
ランチは先生の親戚おすすめの店で。少々辛かったがおいしかったこちらの料理。
なんだか分かる?
これならわかるね。蛙はご馳走。
さて、午後は晴川閣へ。長江の西岸にある建築群です。
治水に功績のあった、禹を祀るため、明の時代に建てられました。名称は、唐代の詩人、崔顥の詩「晴川歴歴漢陽樹」からとったそうな。うーん、この詩はよくわからぬが、禹はよく知ってます!漫画中国の歴史による知識だけど。あの漫画は小学生のときに読んだけど、今でも覚えているとは我ながら驚き。ちなみに禹は黄河の治水工事にあたったとされてます。
有名な鉄門関。
晴川閣の周りには、これまた禹を祀った公園がありました。
禹は、治水工事に情熱を傾け、家には3回しか帰らなかったとか。
さて、公園をあとにして、長江の西から東に移動します。目指すは黄鶴楼。
長江の有名な橋、武漢長江大橋を歩いて渡りました。
笑顔だけど、キシキシいってて少しスリルありましたヨ。
さあ、武漢一番の見どころ、黄鶴楼に到着。江南三大名楼のひとつ。
223年に呉の孫権によって築かれた楼閣。当初は見張り台として作られたようですが、のちに多くの文人が訪れる名所となりました。今の楼は、1985年の再建だそうです。
黄鶴楼の上から。空気が悪いけど、長江も見えます。李白の詩、‘黄鶴楼送孟浩然之広陵’がぴったり。
ところで、黄鶴楼の名前の由来は、黄色い鶴の伝承(昔、もうからない酒屋にきたみすぼらしい身なりの仙人に、主人がただで酒をふるまってあげた。そのお礼に仙人は壁に黄色い鶴を描き、その鶴が踊りを踊ることで、店の人気が出てここの主人が巨万の富を築いた、というもの。)によるそう。さらに黄鶴楼と言えば、この伝承を踏まえて崔顥がうたった詩も有名です。
さてこの机は何でしょう?実は黄鶴楼にやってきた李白ですが、崔顥の詩があまりに素晴らしいので、これ以上の詩は書けない、といって筆をおいてしまったそう。そのときの机です~。
黄鶴楼をあとにして、こちらは、辛亥革命博物館の前。閉館してたので中は見学しませんでした。ここ武昌で起きた蜂起が辛亥革命の発端となったのは有名。最近ではジャッキーチェン主演の1911という映画も話題になりましたね。北京でもTVで見ました。
孫文の銅像と。
夜ごはんは、美食外にてローカル食を味わいました。衛生状況には目をつぶりましょう。
さあ、長い武漢の1日も終わりです…と言いたいところだが、長い夜は終わりません。なぜなら、これから張家界へ移動する寝台列車は、深夜3時発だからwうはは。マッサージやケンタッキーで深夜の時間をつぶし、駅へ向かいます。
列車の駅。人がたくさんです。北京からくる列車だったのだけど、遅れて明け方の4時にやっと出発しました。。。
さて、寝台列車の中から始まる張家界の旅行記は次回へ続く…