ぶらり週末トリップ ~景徳鎮~
今回の旅先は景徳鎮!!食器で有名なあの景徳鎮です。
上海から少し内陸の江西省に位置します。地図上で見ると近そうだけど、実際は遠いのがこの中国大陸。江西省の省都の南昌からでも鉄道で5時間かかる。。。上海からは飛行機だと1時間!が、上海ー景徳鎮は1日往復1便、朝9時上海発と21時景徳鎮発のみ。まる2日いても景徳鎮でやることもないなぁ、というわけで、初めての飛行機日帰り旅行です。
行きの飛行機が遅れると嫌だなぁと思っていたけど15分遅れくらいで無事景徳鎮へ到着!
第一印象は空港がやたらと小さい、そして空気が…悪い(苦笑)。空港から出ると、まともなタクシーはゼロ。白タクと交渉し、1日チャーターで郊外まで遊びに行って400元で妥結。事前に日本人向け旅行会社に聞いたら1日チャーター1700元って言われたのに!やはり自分で言葉が使える強みはここにあり。
ところで、景徳鎮は中国四大名鎮に数えられる街だそう。古くから陶磁器の生産地として有名だけど、ピークは15世紀、18世紀ごろからはちょっと衰退期となったよう。今でも世界中で有名な景徳鎮だけど、街の印象は…さびれた地方都市そのもの。ただ街灯や信号機の陶磁器アピールは、すごい。笑
赤茶の土、砂ぼこりの舞う空気の中、早速空港近くの食器屋さんへGO!きっと運ちゃんがキックバックもらえるお店だわね。
わーい!別に特別食器が好きというわけではない(むしろ自炊しないので家には必要最低限の皿しかない)のだが、景徳鎮で陶磁器をみる、ということにテンションが上がります!
見てるだけで楽しい。が、いざ買おうと思うと、問題が。このお皿とかお椀とか、全部セット売りなのです。26個セット~多いのだと50個以上のお皿やお椀が一緒になったものが!残念ながらばら売りはしない、ということだったので、もう少し小規模で済む、茶器セットを購入。値札は1300元だったけど、450元で買えました。手作りではなく機械作りっぽかったけど、好きなデザインだったから満足。
さて、無事買い物ができたので、ここからは景徳鎮の郊外、瑶里古鎮へ向かいます。
瑶里古鎮は前漢末にできた街。今も明・清時代の古い建築様式が残ります。市内から1時間程度、このへんはもう安徽省の近くですね。
運ちゃんお勧めの「古い家」。こんなの上海じゃ見られんだろ!と勧めてくれたので一応写真は撮ったが…今も普通に人の住む古いおうち、以外の何物でもない。
山道をさらに少し進むと、古鎮らしい場所へ到着。まだお目当ての瑶里古鎮ではないけど、ここも古い村。古い建物、干された鶏肉と洗濯物。いい感じです。
さらに川沿い。こちらはおせんべいみたいなものが干されています。
この村で、お決まりの運ちゃんも一緒のランチを済ませ、最終目的地の瑶里古鎮へ。
古鎮の説明はこちらで割愛~。ちょっと変な日本語だが、地方の看板にしてはかなりよいほう!さびれまくってるけど、今も暮らしている人たちがいて、あんまり観光地化されていないところが気に入った!
ここで生まれてここで日常生活を送っている人たちの暮らしを垣間見て、いつものことながら思うのは、中国って、世界って、広いなぁということ。自分の知らない生活がここにもあった。
一緒にいった先輩は怖くて渡れなかった橋だけど、へっちゃら!
趣のある石畳の狭い路地。宏村もこんな感じだったなぁ、やはり地理的にも近いから、安徽省の建築様式と似ているようです。衝撃だったのはこちら↓
美容院です。この村の家は、どこを覗いても毛沢東の写真が掲げられていました。いいとか悪いとかではないけれども、ここだけ時間が止まったかのように感じる場所でした。
さて、夕方にまた市内に戻ってきました!運ちゃんが酷評したため市内の博物館にはいかず、代わりに陶磁器を作る工程の分かる場所がある、と連れて行ってもらったのがこちら。高級陶磁器を販売する店に、造り場が隣接しています。
焼く前の作品がごろごろ!イケメンのお兄さん(若い!)がちょうど作業中でした!細かい道具を使って、慎重にお椀を削っていっています。
周りを中学生くらいに見える男の子がウロウロしてできあがったものを運んだりしていました。まだまだ下積み期間中ですね。
窯も見せてもらえました(勝手に見たんだけど)。このお店は高級店だけあって、本当によいものが高値で売られていました。手描きのものはやっぱり高いのよね。
せっかく景徳鎮に来たのだし、高くても記念に何かよいもの買っていこう、と意気込んでいたが、まずばら売りが少なくて困りました。ばら売りのだと選択肢が少なくて、さすがに「まぁまぁいいかな」と思う程度のお皿に2000元は躊躇。目の保養にとどめてお店を後にしました。
時間が中途半端にあまったので、最後に空港付近のお皿市場にまた立ち寄って安物のお買いもの。飛行機が案の定遅れたので上海に戻ったのは深夜だったけど、1日使って景徳鎮の陶磁器と古鎮を満喫した1日でした。高校生の時、世界史で景徳鎮を勉強してからはや10年…以上経ってるがな。。まさか、こんなところまで来るとは思ってなかったなぁ。また中国の奥深さを知った週末でした。
世界遺産リスト㉙ 大足石刻&重慶火鍋旅行
今回の世界遺産は、重慶市から車で2時間ほどの場所にある大足。
久しぶりの週末弾丸旅行にて、まずは上海から重慶市までひとっとび。仕事では重慶関連が色々とあるのだけれど、実は重慶を訪れるのは初めてでした。
重慶は中国4番目の直轄市。内陸の大都会です。そして重慶と言えば何をおいても、火鍋でしょう。今回の旅の目的も、火鍋&大足石刻と、とても分かり易い。
お昼に重慶到着後、空港からそのまま市中心から少し郊外にある、磁器口古鎮へと向かいました。ここは、もと重慶駐在員に事前リサーチした観光スポット。
相変わらずたくさん人が映りこんで集合写真みたいな状況ですね。週末だったのですごい人でごった返していました。
ここは昔は水運で栄えた港都市。今はお土産屋さんが中心です。観光案内所みたいな場所にて荷物を預けたのだが、、、無料というだけあって番号札つけて案内所の脇スペースに置くだけ。。。不安はありつつもまぁとられても洋服だけだ、と割り切って散策スタート。
まずは入口近くにある鐘家院という古いおうちを見学。北京の四合院の建築様式を取り入れたお屋敷です。
ここでは、飾り文字を書いている人がいて、面白かったので20元払って自分の名前を書いてもらいました。さっそく自分へのおみやげゲット。
右からかいてあますね。
お昼ご飯の時間をすっかり過ぎていたので、とりあえず重慶らしいランチを求めてフラフラ。ローカルな露店のお店で頂いたのがこちら。
「鳥雑」という料理名からも分かるとおり、鶏肉の雑多な部分(ホルモンなど)を香辛料で煮込んだ辛い鍋です。あとから重慶人に「ランチは鳥雑にしたよ」、と話したら、えっよく食べましたね!という反応でしたが、お味はけっこうよかったです。
ランチ後も磁器口の中をウロウロ。階段や坂道もあって、少し雰囲気が台湾の九分に似ているなぁと思いました。
あと、ここは飲食店がたくさんなのだけど、大きな声で客寄せしながら麺を打っているおじさんがとても愉快で面白かった。紫いも味の麺かしら。全然食欲はそそられなかったけど、おじさんのパフォーマンスがGoodでした。
食べ歩きしたりお茶飲んだりで満喫した後、重慶の中心街へと向かいました。案内所に預けていた荷物も無事そのままおいてあり一安心。
さて、たどりついたのは嘉陵江と長江にはさまれた島の中にある、中国三峡博物館です。中は広くて駆け足でしか見てないけれど、重慶市の歴史展示以外にも、少数民族の展示、お金の歴史展示、抗日戦争記念展示などがありました。重慶は国民党政府の臨時首都の時代もあったからね。もう少しきちんと近代史が分かっていると面白かったかも。
博物館の前は大きな広場(人民広場)になっていて、人民大礼堂という立派な建物が見えました。
北京の天壇に少し似ているな。
日も暮れたのでホテルへチェックインしにいき、普段一緒に仕事をしている中国人スタッフin重慶と待ち合わせ。夜ごはんは火鍋屋さんに連れて行ってもらいました!食べることに夢中で肝心の写真がないが、、、百貨店の中の綺麗なお店でひとりひとつ小さい鍋の出る店でした。中国人スタッフの彼女も一緒に食べたのだが、彼女は意味不明なほど辛いスープにしていましたね。。。少し味見させてもらったが、その後しばらく他のもの食べられなかった。火鍋は毎日のように食べるらしい。小さい時から食べてれば舌も慣れるのだろうか。
火鍋で終わりかと思いきや、長江沿いのカフェに連れて行ってもらえました!
綺麗です。武漢でも長江見たけど、こんな内陸でも長江に出会えるとは。やはり雄大で長い長い川なんだなぁ。
上海の外灘とはまた趣の異なる長江と重慶の夜景にゆったり浸って夜は更けましたとさ。
2日目。前日は、半日ながら重慶を満喫できたので、朝から一路大足へと向かいます。
大足は、唐から南宋の時代にかけて造られた石窟、石刻がたくさんある町です。99年には世界遺産に登録されました。ものの本によれば、唐末期、安史の乱等の混乱の時代に南へ逃れてきた農民、高僧、彫刻師などが、平和を求めてここで大仏像を彫るようになったとか。その後明、清の時代まで実に10世紀以上に渡って彫られてきたというのだから驚き。さすがは中国の歴史!
夕方の飛行機までの時間は限られているので、有名な2か所の石窟を訪れることにしました。
■宝頂山石刻
ここは、大足石窟の中心地。唐末から作られた様々な石刻を見ることができます。
車を降りるなりわーっと群がってくる中国人有料ガイド。勢いに負け、ずっとついてきた諦めの悪い女性ガイドを起用することに。結果的には、歴史や仏教のことを説明してくれて、つけて正解でした。
敷地内に入ってまずびっくりするのは石刻のスケールの大きさと細かさ!
色もきれいに残っています。手前に見えているのは地獄絵図。苦しそうな人々の表情がひとつひとつリアルで見入ってしまいます。ここの石窟は仏教の教えをもとに彫られていて、ひとつひとつの石刻がストーリーのようにつながっています。
世界遺産マークも無事発見しました。上の守護神の色もとても綺麗に残っています。
そして、ここからが目玉!大足にきたかったのは、この巨大涅槃図を見てみたかったからといっても過言ではありません。
圧倒されるスケールです。全長31mで、中国では一番大きな上半身の涅槃像。もう少し近寄ると、さらに大きさを実感できる。
お釈迦様の穏やかないい表情。まるでインドかタイに来たかのような気分(どちらも行ったことないので完全にイメージ。)
他にも有名なのがこちら。六道輪廻像という、仏教の輪廻思想を表現した石刻。
一番内側はお釈迦様。2番目の輪が天道、人道、阿修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の6つの輪廻、3番目の輪には人の生・老・病・死・憎悪・愛別離が、そして一番外側には動物が彫られています。お見事。
もうひとつ宝頂山の見どころとして千手観音があるのだが、修復中で見学ならず。
でも、大仏をしっかり見られて大満足でした。
■ランチ
次の石窟へ向かう前にランチ休憩。適当にローカルの込み合ってる店に入りました。舌が麻痺する系の鍋に白身魚(川魚)が丸ごと数匹入っています。これが意外にもすっごく美味しかった!
■北山石刻
こちらは、宝頂山に比べると、小さいものが多く、若干地味な石刻でした。でも小さい分精緻な石刻が多いようにも思いました。
ガイドブックには1万台ほど仏像ありと書いてあったが、冬の閑散期だからか途中から道が封鎖されていて、思ったより早く見終わってしまいました。ガイドもいなかったし、ここの石窟はきちんと楽しめたかというとちょっぴり疑問符。
ともあれ、全体としては世界遺産の石刻を十分に堪能できた1日でした!
また重慶まで車で戻り、夜の飛行機で上海へ帰還。火鍋と石刻のミッションコンプリート。週末だけでこんな場所までいけちゃうんだな、ということにまた満足感を得た2日間でした。
世界遺産リスト㉘ 空を掴む~秘境チベットをめぐる旅~
中国駐在も2年以上経過した2014年中秋節。満を持して訪れたのは、中国西端の秘境、チベットです。チベットとは「神の地」という意味。文字通り、素晴らしい文化と自然に圧倒された4日間となりました。ラサを中心に今回の旅を振り返ります。
■Day1-一路チベットへ
現在、外国人は自由にチベットへ入ることはできません、チベット人ガイドと入境許可証が必要です。6月頃から旅行会社にコンタクトし手配を始め、入境許可証をゲットしたのは出発数日前という、少しハラハラする展開でした。許可証を待ちながら、出発1週間前からは漢方薬を服用し高山に備える。というのもチベットの平均海抜は4000m超え。本当はチベット鉄道でゆっくり移動すると体も慣れやすいそうだけど、時間がないリーマンは飛行機で入境するゆえ、事前の準備も入念にというわけ。
早朝に上海を出発し、西安経由、ほぼ時間通り夕刻チベット自治区の首府はラサへ到着です。飛行機を降りると、すぐ目の前には山が見える。
ラサの歴史は古い。7世紀初め、吐蕃国王(昔世界史で勉強したな!)のソンツェンガンポ王が遷都して以来、ラサはチベットの中心です。ラサはチベット語で「山羊・砂」という意味。なぜこんな意味の名がつけられたかは、のちのち判明することに。
空港を出て、チベット人のガイドさんと合流。この時点では、それほど空気の薄さは感じない。どうやらまだ自分の肺の中にも十分な酸素があるからだそうです。
空港から市内は1時間弱。車から見える景色は本当に絵葉書のよう。こんなに開けた空見たことがあったでしょうか。手を伸ばせば雲がつかめそう。
ホテルに荷物をおろしたら、まずは市内をぷらぷらとして高度に体を慣らすことに。最初に向かったのは、ラサの中心にあるチベット寺院、ジョカン(世界遺産)です。
ラサに遷都しチベット統一を成し遂げたソンツェンガンポが唐から妃(文成公主)を迎えた話はけっこう有名ですね。ジョカンはこの文成公主のために建てられたと思われがちですが、もともとは、もう一人の妃、ネパールから嫁いだ王女が建築したものです。(だからネパールの方角を向いているらしい。)
なんでもこのネパール出身王女が、寺院を建てるのによい場所をなかなか見つけられなかったとき、文成公主が空高く指輪を投げて落ちた場所を選定。ここは沼地だったのだけど、寺院を建てるために、山羊を使って砂を運んでこの沼を埋めました。
さて、長くなったけど、ラサの由来にたどり着きました。チベット語で、ラ=山羊、サ=砂、なのです。
後ろに見えるのがジョカン。今は中に祀られているのは文成公主の持参した釈迦牟尼像になっています。文成公主がもともと建てたラモチェという寺院(唐の方角を向いて建てられている)にネパール王女の釈迦牟尼が収められています。中身が入れ替わったのですね。
入口を入ったところの中庭。まだ写真OKです。ここをさらに中に入り、お釈迦様の祀られている釈迦堂へ。チベットではお寺の中は時計回りで参拝するのが習慣。どこにいっても本当に時計回り。なんてことない道でもよく見ているとチベット人が時計回りに歩いていたりします。
中には本当にたくさんの像が祀られていて、ガイドさんが丁寧に説明してくれます。写真はとれなかったけれど、阿弥陀像、釈迦、弥勒菩薩のほか、チベット仏教のゲルク派開祖のツォンカパやその弟子の像なども祀られていました。ひとつひとつに物語があってとても興味深い。
さて、寺院の屋上に出るとこんな景色。
寺院の前は広場になっています。ん?ズームしてみましょう。遠くに見えるのは…
ポタラ宮ですね!ここから見ると、山の合間に浮いているようで本当に神秘的。
さて、ジョカンの屋上にはチベット仏教のシンボル、黄金の法輪と鹿。チベット寺院の門の上には必ずあるようです。法輪の意味については、仏陀の教えを語る必要があるのでここでは省略。
こんな立派な金の釣鐘も。
屋上に登るとき、階段をあがっただけなのに、少しくらくらしてしまいました。確実に酸素が薄くなっているようです。
さて、ジョカンをあとにして、ジョカンの周囲をぐるりと囲むバルコルという道を散策します。もちろんここでも時計回り!逆回りをしている人なんて、ほとんど見ない。
バルコルはもともと市場で、今はお土産屋さんなどが多いのだけど、巡礼者もたくさんくるので、五体投地でお祈りをしている人もたくさん見かけました。なんとなく、年寄りが多いとイメージしてたけど、若い人もたくさん。信仰心が厚いですね。
この写真でも、大部分の人が背を向けて向こう側にむかって歩いているのが分かります。時計回り。
バルコルでは天朱というチベット特有の宝石をネックレスにしたものを購入。万事好転するらしいです!チベット人のお兄ちゃんが日本人と分かると割引してくれた。チベット人はやはりあまり漢民族が好きでないようですね。バルコルの至る所に掲げられた中国国旗には少し違和感もありました。チベットはやはり「チベット」としか形容できない独特の文化や歴史があるように思いました。
こうして1日目が終了。
■Day2-天の湖ナムツォ
ラサから北へ130キロ。中国第二の規模の湖、ナムツォへ。
旅程表には2時間半程度と書かれていたけれど、8月にバスの事故があった影響で、今は制限速度が設けられています。各区間で検問みたいなのがあって、指定の時間にならないとそこを通り抜けられないのです。結果、車は牛歩の歩み。結果5時間ほどかかりました~。
途中の休憩場所の景色。ちょっぴり曇り気味ですね。タルチョと呼ばれる5色の旗が特徴的です。(天、風、火、水、地を表すそう。)
このナムツォ湖に向かう途中で、なんと海抜5190mのランゲン・ラと呼ばれる峠越えをします。この海抜の高さは、去年訪れた雲南省の玉龍雪山や香格里拉を超える高さ!!人生初ですー。
さすがこの海抜で風が吹くと、寒く感じますね。
でもお陰様ですっかり高地に順応したのか、体調は万全。
そしてこの峠を越えて数十分走ると、見えてきました。
ナムツォ湖は海抜4718m、チベット三大聖湖のひとつに数えられる、チベット仏教の聖地であります。
到着したら、とってもラッキーなことに雲が晴れました!というわけでランチもそっちのけでまずは湖の周りを観光。湖は鮮やかなセリアンブルー!ちょっと薄いこの水色と、後ろに見えるニェンチェンタンラ山脈に残る雪、そして真っ青な空、ぷかぷかと流れる雲。基本的に青と白の世界でなんとも幻想的な美しさです。
ここまできたら、やれることはやるぞ!というわけで、ヤクに乗って記念撮影~(有料)。とても嬉しかったなぁ。
でも、ここでは色々なトラップも仕掛けられていて、注意が必要。そのへんに何気なく繋がれている小さいヤクの写真を撮ろうもんなら大変!突然地元のチベット人が出てきて撮影しただろ、金払え!とすごい剣幕。。。なんだか観光地化してがめつくなっているそんな姿に少しわびしさも覚えました。
まぁ、何をおいても、天気に恵まれて本当によかったです。3時くらいにランチを食べて、また来たのと同じ時間をかけてラサまで戻りました。
疲れたけれど、大満足の2日目、終了!
■Day3-世界遺産ポタラ宮とラサ市内
ついに、ここまでやってきました。本日は50元札の風景、ラサの象徴ポタラ宮へ。
ポタラ宮は、「宮殿」、すなわち、ダライラマの住む場所です。色を見ると分かるとおり、赤い部分(紅宮)と白い部分(白宮)の複合建築物。最初に白宮、のちに紅宮が増設されたとか。見学は指定時間制なので事前に整理券が必要で、まずこの整理券取得のために、朝早くから列に並びました。
さて、時間になったら早速門をくぐり、階段を登っていきます。
赤い部分は実は植物でできていました!ポタラ宮は毎年色を塗り替えるそうです。白い部分は上から白ペンキを流すらしく、確かにそうゆうまだらな模様が残っていました。
上の広場に到着です。ここからいよいよ建物の中に入っていきます!中は撮影禁止なので写真におさめられず本当に残念!迷路みたいにクネクネしていて、それぞれの小部屋には各代ダライ・ラマの暮らしていた部屋、謁見室、会議室、お墓などなど、見学内容盛りだくさん。ダライ・ラマの政権の興りは14世紀。ツォンカパが戒律厳守のゲルク派(黄色い帽子をかぶっているのはチベット仏教の中でもゲルク派の人たちだよ。)を興して台頭、モンゴル族のハンから初めて「ダライ・ラマ」という称号をもらったらしい。ダライ=大海(モンゴル語)、ラマ=上人(チベット語)の意味です!
しかしもとは仏教への信仰をもとに興った政権だから、宮殿といっても質素なものなのかなと思いきや、各代ダライラマのお墓のきらびやかなこと!金ぴかの巨大な棺にこれでもか、というほど宝石がちりばめられていてびっくりしました。
1時間ほどで外に出てきて、正面のポタラ宮広場から記念撮影。やはりチベットといえばこの景色でしょうね。
引き続き、市内を観光します。こちらはラサの庶民がお祈りに集まる場所、サンゲ・ドゥング。
老若男女、本当に熱心にお祈りしています。宗教の浸透力をまじまじと感じる。
さくさく紹介しましょう。お次はダライラマの夏の間の離宮、ノルブリンカを見学!こちらも世界遺産です。
この離宮も中は広くて、各ダライラマの建てた離宮がいくつもあります。どれも、花に囲まれててとっても綺麗。地元の人がピクニックしているような様子もうかがえました。
ここは一番よいなと思った離宮。ちょっとジブリに出てきそうな感じではないですか?それにしても、チベットの建物はどれも白・黒・赤が基調になっていますね。白色は文殊菩薩、黒色は金剛守、赤色は観音菩薩を意味しているそうです。
ここから少し車を走らせ、中心地から北にあるセラ・ウツェ山のふもとに立つセラ寺へ。ここはゲルク派の大寺院、今でも僧侶たちが修行に励んでいます。
朝の曇りがちな天気から快晴になり、どんどん日差しが強くなってきました。ここセラ寺の名物は修行僧が行う「問答修行」の見学なんだけど、なんと我の訪れた日はこれが休み!ちょっと残念でした。
色々見学しすぎてだんだんどこがどこか分からなくなってきましたが、この写真はお気に入り。山麓にあるのがよく分かりますね。
色々と見学してもまだ時間があったので、初日と同じ、バルコルに行って有名カフェレストランでお茶をすることに。ここは、詩人としても有名だったダライラマ6世が訪れては詩を書いていたという場所です。
なななななんと!このカフェレストランで一番良い席がたまったま空いたのでそこに座れることに!!3階の角席で、バルコルを行きかう人たちを見下ろすことができます。観光できた人たちが名前と感想を書き残すノートにしっかり日本語で記録させて頂きました。ちなみに飲んだのはアップルラッシー。
カフェでラッシー飲んでも時間があまったので、一度ホテルに戻り休憩。ほぼ慣れたとはいえ、高度は高いので無理は禁物。少し暗くなったところでまた出発してチベット料理屋へ。高山ではお酒は飲まないほうがいいと言われたが、ホテルで休憩もしたし、という余裕から、チベットビールを飲むことに。美味。はははは。
さて、夜ごはんを食べ終わってから、歩いて再びポタラ宮へ!夜のライトアップを見るべし、とガイドブックに書いてあったので是非夜来てみたかったのです!
じゃーーーん!!ポタラ宮広場横にある少し高い建物に登り(2元かかった)、斜めからポタラ宮の姿をとらえてみました。ものすっごく綺麗で幻想的だった!本当にここまで来てよかったよ~~~。大満足でラサ市内観光の3日目終了。明日はついに最終日。
■Day4-トルコ石の湖ヤムドク
最終日は朝市内を出発し、2日目同様、また急な山道を走っていきます。
今回の旅は2つも湖を見に行くという盛りだくさんの内容。本日の目的地は、ヤムドク湖。この日もいいお天気!まずは途中の休憩地点で記念撮影。だんだんポージングが中国化しているのはご容赦下さいませ。
さて、標高4750mの峠を越えたところで急に目に飛び込んできたのが、このブルー!
トルコ石の湖と称されるのも納得です。もちろんチベット仏教四大聖湖のひとつです。
さりげなく広がる湖ですが琵琶湖のちょっと小さいくらいのサイズ、だそう。
日本だと滋賀県はほとんど琵琶湖と誤解されているほどインパクトのあるサイズのはずが、この広大な大陸においてはなんだか普通サイズに見えるのが不思議。
湖の近くまでいくと、このトルコ石ブルーは消えて、水色というか透明のような色に見えました。
この湖から空港へ向かい、今回のチベット旅行はお開きです。
チベットには独自の文化と信仰心の厚い人々の暮らしがあって、神々しい自然に囲まれていて、本当に神の地と呼ぶのにふさわしい場所だと思いました。
またいつか来る日まで!再見!
ぶらり週末トリップ ~青島ビール祭り~
夏!暑い!ビールがうまい!
というわけでお盆まっただ中、初めて青島へ出かけました。日本でお世話になった中国語の先生が去年の秋、青島に戻ってから、ずっと遊びに行こうと思っていたのだが、どうせ行くならビール祭りのときに、と大事に温めていた旅行先なのです。
早朝便で青島空港へ到着。空港から先生の家に向かい、荷物を置かせてもらったら、早速一つ目の目的地、江蘇路基督教堂へ。1910年にドイツ人の礼拝堂として建てられた、プロテスタント教会。
ヨーロッパを感じさせる綺麗な色使いです。なんだか想像より新しいな、と思ったら文革で壊されたので、1980年に立て直されたものみたい。緑色の時計台がシンボルですね、中にも入れます。
およよよ。支えるもののない階段です。入口には定員10名と書かれていたが、人がうじゃうじゃ。。。中国人の先生曰く、「大丈夫、ドイツのだから。」と。上では時計のからくりを見られました。続いて礼拝堂にも座ってみる。
こぢんまりしています。ステンドグラスかなぁと思ってみた窓は、シール?みたいのが貼ってありました。ははは。
さて、続いてもう一つ教会を訪れます。こちらは天主教堂というカトリック教会。やはりドイツ占領時の建築→文革で破壊→立て直し、という軌跡をたどっています。先ほどみた教会に比べると大きく、重厚な造り。教会の前の広場では、何組ものウェディング撮影をしていました。
さて、ドイツの代表建築を見学した後は、海へ繰り出します。海の前は屋台がたくさん。このヒトデ、どう見ても美味しくなさそうなんだけど、至る所で売られていました。
青島を代表するスポット、桟橋へ到着です。
もとは、清政府が軍事物資供給の舟寄せとして作った桟橋のようだけど、その後ドイツ軍、国民党軍の使用を経て、海の方へだんだん伸ばされていったということ。今は長さ440メートル。海風にあたりながら、よい散歩道となってます。
こちらは桟橋の突き当りの防波堤に作られた回瀾閣です。青島ビールのラベルにも使われている建物だって!今度注意してラベルを見てみないと。それにしても人が多くてまっすぐ歩けないので、確実に440メートル以上歩きました。海そのものの景色はというと…普通でした。そんなに綺麗でもないし、日本人にとって、それほど感動はない、かなぁ。
さて、海沿いの海鮮レストランでランチを済ませたら、午後はビール工場へ!工場へ続く道も、ビールを前面に出してアピールしています。
青島に1903年に作られたドイツ式ビール製造工場は、ドイツとイギリスの合資会社によるもの。今は工場の場所には、創業100周年を記念して造られたビール博物館があります。
青島ビールといえば中国を代表するビール会社として、上海と香港に上場する大企業です。ドイツ→中国と引き継がれたのかなと思っていたら、第一次大戦後は日本が経営権を持っていたそう。そうか、ヴェルサイユ条約あたりの歴史がこのビール工場にも影響していたのね。日本の大日本麦酒という会社は、ここで朝日ビールや札幌ビールも作っていたそうで、その頃の日本の広告とかも展示されていました。ちなみに大日本麦酒というのは、財閥解体時にアサヒビールとサッポロビールに分かれることに。ビールの歴史もなかなか奥が深いですね。
展示の博物館のほか、ビール造りの行程を紹介している場所もあります。
工場のチケットには、2杯のビールが無料でついていました!1杯目が原浆ビールで2杯目が普通の純生ビール。原浆ビールっていうのは濾過する行程の前のビールのようです。少し苦いけど、ビールっぽくて美味しい気がした。
最後にこんな泥酔小屋(酒漬屋っていう和訳がされてた。)というもの発見。この小屋の中は斜めになっていて、三半規管に影響するのか、すごく変な感じになる。みんな外に出てくるとバランスとれず千鳥足になるので、酒を飲まずして酔っぱらった感覚を体験できる小屋です。予想以上に気持ち悪くなったな。
お土産屋さんも充実していて、ビールのおつまみ豆や、ビールグラスを購入して楽しめました。
博物館をたっぷり楽しんだので、1日目はここで終了。とはならず、夜ごはんに火鍋を食べたら、ライトアップが綺麗だということで、また海の方へ繰り出しました。五・四広場という場所から海沿いを散歩します。
この赤や緑のにぎやかな色合いは、いかにも中国、という感じですね。嫌いじゃないです。夜遅くまで動き回って1日目終了!
さぁ、2日目はじまり。朝ご飯を売店で買って、バスに乗る。(バスの中で饅頭食べた。)
目的地は青島の観光名所、八大関。ここは1930年代に青島に滞在していた各国の官僚や資本家が建てた別荘が残されている地区です。今も24か国程度の建築様式が楽しめる場所。八大関という名前は、ここに中国の有名な8カ所の関所の名前の通りが8本あったからだって。
ちょっと早く着きすぎてまだ入館できないということで、海で時間をつぶしていたら、面白い光景に遭遇。
ウェディング写真をとるカップル。パンツ一丁で遊ぶ子供。洗い物をするおばちゃん、カップルを早くどけて写真とりたいおばちゃんとそのだんな。この狭い空間に、色んなことをしている人がいすぎ。。。面白いぜ中国。
気を取り直して、八大関で最も有名な、花石楼を見学。花崗岩を使ってロシア人が設計したという建築で、蒋介石も別荘として利用していたそう。
一番で中に入ろうと思ったけど、中にはすでにすごい人人人。しかも見学マナーがよいとは言えず、もはや慣れていたはずが、ちょっとイラっとしてしまった。建物は、2階3階から海が見渡せて、とてもよい立地でした。
続いて見学したのは、デンマーク式の公主楼。これは本当にこんな建物だったのかなぁ?というちょっと不思議な色使いです。
先生がお勧めするのは、建物ではなく、この壁。確かに、この前で写真撮影しているウェディングドレスの人たちがいました。青島はウェディング写真をとってる人がやたらと多かったなぁ。ドレスと西洋式建築がよく合うんだろうね。
八大関の見学を終え、いったん先生のおうちに帰ります。ブランチとして、先生のお母さんが手料理をふるまってくれました!外で食べるより本格的!
豆腐とイカのスープみたいなのがおいしかったな。
旅の最後は、これぞ青島!ビール祭りへ!
ビール祭りは、郊外で行われているので、車で30分以上かけて移動しました。
チケットを買っていざ中へ!前売りで買わないとダメかなぁとか色々心配したけど、その場で普通に購入できました。
で、中は思っていたよりずっと広い空間で、たくさんサーカス小屋のような建物が並び、その前には出店もたくさん。ビールにあうような串焼きのお店が多かったかな。
ビール祭りは2週間ほど行われるけど、この日は開幕2日目勝週末だったからか、たくさんの人でにぎわっていました。ものすっごくいい天気で、じりじりと肌の焼ける音がするようです。
ドイツビールのエリア、青島ビールのエリアなど、分かれていますが、どこも大音量で音楽がかかっていて、上手と言えないバンドの演奏やら、カラオケやら、超騒がしい!超うるさい!うるさすぎ!!!
そんな大音量を前に寝る人。びっくりです。うるさくて何も聞こえない中、ドイツ黒ビールを試しました。もともとそんなにお酒は飲めないので、飲んだのはこれ1杯だけ。いただきます。
美味しかったかというと、そこまで「うまい!」とは思わなかったけど、ここまできて飲んだことに意味があると思うのだ。
ビール祭りは、欧風なオクトーバーフェス的なのを想像していたけれど、思ったよりずっと中国的でした。そりゃそうか。滞在時間は短かったけど、ちゃんとビール飲んだし、雰囲気がわかって面白かったです。でも、もう1回こようとは、思わないかも(苦笑)。
こうして短い青島滞在は終了。確かにドイツ式建築が街中にたくさんあって、街並みは欧風な部分もあったけど、市内を歩いてみると、やはり中国だなぁと感じる街だったのが、来る前の想像とは違ったところでした。そんなちょっとねじれた感じがまた興味深いね。初めて中国のおうちにも泊めてもらって、すごく印象深い2日間になりました。次にくるときは、戦国時代の歴史を楽しめる郊外にも足を延ばしたいなと思います。
中国とベトナムの間 ~週末トリップ~
7月。だんだん暑くなってきましたが、暑さに負けず大陸南方、広西チワン自治区を訪れました。この2年でいわゆるメジャーどころは観光済みゆえ、さらなる中国の知られざる魅力にせまるべく、地球の歩き方をぺらぺらとめくっていて見つけたのがここ、広西チワン自治区とベトナムの国境沿いである徳天跨国大瀑布です!つまり滝。国境をなす滝としては、世界第四位らしい。水量の多い7月~10月がシーズンということで、金曜夜に上海を飛び立ち、2泊3日でいってきました。
旅の起点は省都の南寧。しかし南寧市内にはよらず、空港から直接国境に近い町、凭祥市へ2.5時間かけて向います。小さな町で、気候も人の雰囲気もベトナム。夜中に市場で焼き鳥みたいなのを食べて、すぐホテルへ。翌日に備えます。
翌朝、滝を訪問する前に訪れたのが、ホテルから30分ほど車を走らせたところにある、友誼関。名前からわかるとおり、昔の関所、今もベトナムとの国境です。なんでも漢の時代に創設されたという、いわゆる国境を守る長城ですね。長城と聞くと、北方を思い浮かべるけど、南にも同じように長城があるのですねぇ。階段の傾斜が大変なことに。。。
19世紀以降はフランスや日本の占領下にあったようで、長い歴史を持つ場所です。長城の上には戦争のあとの塹壕が。
ここの名前はいろいろと変わってきたようですが、今の友諠関というのは、ベトナムと中国との友好を願ってつけられたのでしょうね。
そしてフランス風建築の、もと税関。おしゃれですね。今は使われていません。
そしてこちらがいわゆる、友諠関の建物。楼閣があって、両側が長城につながっていますぅ。
この楼閣は、1957年に作られたものですが、ここの上で政治家による会談も行われたとか。ここ以外にも、中国には9大関所なる、関所があるそうな。全部いってみたいなぁ。
そして、ガイドさんの勧めにより、この友諠関をくぐりぬけ、ベトナムへ行ってみました!中国人はビザの申請が必要だけど、日本人ならそのまま通れるから、と。ここを通ってベトナムに入る日本人なんているのだろうか・・・ドキドキしながら、ガラガラの税関をくぐり、出国審査、入国審査!
じゃーん。ベトナム側です。ヨーロッパ以外ではじめて陸路で国境越えしました。ベトナム側は観光地にもなっておらず、なーんにもなかったので、とりあえず記念撮影のみしてまたすぐ出国。中国側の入国審査で、日本人かよ、とひどい悪態つかれて悲しい気持ちになりましたが、無事に中国へ戻れました。少数民族の多い場所などは、国家統一のため愛国教育も徹底しているから、仕方ないことかもね。
とにかく、パスポートにめずらしい『友諠関』なるスタンプをゲットできたことが一番の収穫でした!これからはベトナムに行ったことあるって言っていいかな。
さて、関所から市内に戻ってランチしたら、3時間ほど車を走らせます。
途中でも田舎の風景を楽しめます。川の向こうがベトナム。
ついにお目当ての徳天跨国大瀑布に到着!途中スコールにあってドキドキしましたが、滝に到着した時には雨もやみました、ラッキー。
やってきました!ベトナム側もあわせると幅200m、三段になっている大きな滝です。雨のおかげで水量がものすごいことに。ちょっと茶色いのは仕方ないけど、迫力満点です。
滝のすぐ横の展望台は水量が多くて封鎖されていました、管理のおじさん曰く、自分がいる時は通せないけど、朝早くくれば人がいないから通ってええよ、と。そうゆう問題なのだろうか・・・、とにかくまた翌朝トライすることに。
さて、滝の脇路は、露天街となっています。
このロープをくぐると向こうはベトナム!ガイドさんが、紅牛 (レッドブルという飲み物ね)の値段が、向こう側ベトナムだと5元、中国だと8元もするんだぜ!と。さすがにここには銃をもった軍人が立ってるのでちょいと行って買い物、というわけにはいかないが、夜中になると川の両側からイカダが渡されて、密輸が行われているそう。みーんな知ってて見て見ぬふりだそうです。
暑い中、あまり整備されてない道をえっちらおっちら上り、高台からの景色も拝んでみました。滝の上と下を両方見るという不思議な体験。まるでこちら地上の世界とあちら天空の世界みたいで神秘的、面白いなぁ。
そういえばここの滝の近くは観光地ということもあって、ベトナム人の出稼ぎがたくさんいるそうです。顔も違うけど、一目見てすぐ違うと分かる面白い話をガイドさんが教えてくれました。それは緑の帽子です。ベトナムの男性がかぶる緑色の帽子があるんだけど、中国人の男性は、絶対に緑の帽子はかぶりません。緑色の帽子っていうのは、妻を寝取られた男の象徴だそうで(昔、元の時代に売春業をやっている女性の家族の男性は緑の帽子をかぶらされる法律があったらしい)。文化の違いですねぇ。皆さん中国にくるときは、緑の帽子はかぶらないように。
この日は観光地内の滝の真ん前のホテルで就寝。
翌朝、滝の近くにいけるかどうか、リベンジです。まだ一般観光客に開放されてない時間なので、滝に向かうのは我と友人の2人のみ。水量は残念ながら前日と変わらず多く、ダメかもなぁと思いながら滝に向かいます。張られたロープの前であきらめかけたところ、警備員のおっさんが登場。「うーん、ダイジョウブさ」と行ってロープをくぐっていったので、我々もこれに続きました。なんていうかラッキー。
さて、こちらが展望台からみた滝!すごい迫力!マイナスイオンをたっぷり浴びます!!ていうかずぶ濡れです!!
さらに滝の2段目、3段目にあがる階段もあったのだが、おじさんもいなくなり、さすがに危ないだろうと判断して、滝の観光はこれにて終了。でも大満足でした。
さて、メイン観光は終わりましたが、この近くには通灵大峡谷ていう、中国で一番高い滝があるということで、ここも行ってみました。
木々があって水のあるところは、やはり涼しいですね。珍しい植物もたくさんあるようで、これが●級レベルの保護植物だよ、とか少数民族のお姉ちゃん(大学生)が説明しながら歩いてくれます。
滝はこちら!!落差188.6m!みんなカッパをかぶりながら近づくところ、我らはそのまま直進。びしょ濡れだー!マイナスイオン万歳!
滝の見学後も、鍾乳洞をくぐったり、けっこうな距離を歩きました。中国の旅行は体力勝負です、日々鍛えていないことをいつも後悔する。
自然を満喫して、早めに空港へ。さすがに時間が早すぎたので、途中でどこか見る場所ないか聞いて訪れたのが、凭祥市と南寧市の間にある、崇左市の左江斜塔。だーれもいないさびれた場所に突如あらわるこの塔。入場料がいるのか開放されてるのかもよく分からんかったけど、運転手さんが旅行会社の下見です、とかなんとか言って入れました。いぇい!
今まで訪れた外国人なんているのかしら、と思ったが、あとからネットで検索してみると日本人旅行者のブログが。。。日本人の旅行好き、恐るべし。負けてられません。
帰りの飛行機も大幅には遅れず(もはや1,2時間の遅れは普通)、弾丸トリップもまた無事に終了しました。個人的には北方の、漢民族や満州族のちょっと厳しい「中国」て感じの雰囲気が好きですが、こうした東南アジアの気候、雰囲気もなかなか素敵ですね。広西チワン自治区で聞く中国語はもはや外国語にしか聞こえませんでしたが、少しあったかい感じがしました。人も背が低くて愛嬌がある感じ。中国大陸の広大さ、残された自然を改めて感じた3日間でした。
ぶらり週末 ~宋慶齢&紅坊国際文化芸術園区~
6月の話ですが、久しぶりに上海市内をぷらぷらと散策しました。
■ 宋慶齢ゆかりの場所
①宋慶齢故居
孫文の奥さん、宋三姉妹の次女である、宋慶齢の故居を訪れた。宋慶齢は、中国近代史に深くかかわっている女性ですね。彼女は孫文とともに中国内を転々としましたが、そんな中で1940年代から15年ほど、一番長く住んだのが上海の邸宅なのです。
旧フランス租界の静かな通りの中に、その邸宅は残されています。入館料20元。
入口の門をくぐると、宋慶齢の白い石像が目に飛び込んできます。
邸宅の横に、小さな博物館があり、この博物館の前に石像がおかれています。博物館の中には宋慶齢の生涯が簡単に紹介されていて、関連する記念品が並べられていました。孫文と東京で結婚したときの誓約書もおいてあった!
宋慶齢は幼いうちからアメリカに留学しているし、日本に渡って結婚したり、本当に国際的な環境で育ったものですなぁ。博物館をまわっていたら、何やら外がさわがしい。13時から邸宅の中をボランティアの人が紹介してくれるということなので、人が集まっていました。もちろん我も参加。
2階建ての家は、思ったよりこじんまりしていて質素でした。中は撮影できなかったので、庭からみた写真がこれ。ここには中国史の重鎮たちも訪れたようです。そしてガレージにはスターリンから送られたリムジンが。
入口の脇にはハト小屋が。白いハトの毛がまっていたので遠目にみただけだったけど、後から調べたら、平和の象徴のハトは、宋慶齢のトレードマークのようですね。ちなみに、説明はもちろん中国語だったので、6割くらいしか分かりませんでした。まだまだです。
さて、午後の友達との約束にまだ時間があったので、地下鉄の2駅となりにある宋慶齢の公墓にも足をのばしてみることにしました。
②宋慶齢陵園
公園の中にお墓とかがあるのかなぁとふらりと向かった陵園ですが、入口では身分証明が必要で、しっかりと管理されています。
そして驚いたのが、ここの陵園敷地内にある博物館!故居にあった小さな博物館とは比べ物にならないほど大きい!そして新しい感じがしました。
時間が十分になかったのでじっくり見ていないけど、やはり宋慶齢の生涯が時系列で紹介されています。綺麗に整備されている。
博物館を出たら、今度はかけあしで外国人墓地をまわります。ここに、あの内山書店の内山完造のお墓もあるらしい、とネットでみたので。内山書店は去年このブログでも紹介したけど、上海で魯迅とか有名な中国作家や知識人と交流した人です。
はっけーん。夫婦のお墓でした。さすが、書店だけに本をモチーフにしたおしゃれな石碑になっています。
そして最後に宋慶齢の石像と公墓の石碑を確認しました。
北京にいたときに、大学の授業で宋家の三姉妹という映画を見たのだけど、改めて見返すと、宋慶齢とは、やはり激動の時代を生きた激動の人生を送った人だなぁと思う。これからも彼女の人生をもう少し掘り下げて調べてみたいです。
■ 紅坊国際文化芸術園区
さて、夕方からは友達とアートスペースを訪問!さきほどの宋慶齢故居と陵園の間の駅にあります。
赤い建物が特徴的です。ここは製鉄工場の跡地を利用したアートスペースで、真ん中が芝生の広場になっていて、その周りにぐるりとギャラリーやアトリエ、あとカフェやお店が並んでいます。
真ん中の芝生にはいくつか彫刻とかが置いてあるんだけど、中でも目を引くのがこの足!!ワールドカップは関係ありません。作品名はTheTranshumanceというらしい。面白い!
他にも気になるオブジェがいろんなところに。ギャラリーは少し建物の中に入るのにハードルが高いですが、こうやって外においてあるものは気軽に楽しめます。
ふんわり見えて鉄でできているタオルとか…
一緒に乗って撮影しようぜ!と言わんばかりのピエロの置物とかね。
あと、ビルに沿って巨大な鉛筆も発見!
この建物は民生現代美術館で国内外の現代アート企画展が開催されてるそう。実はあとから調べたらここが見どころだったんだけど、入館チケットが必要だったので、我々はけちって入らず。ははは、まるでアートを解する気概が感じられない。
中のカフェで一服してから帰りました。現代アートについてはよく分かりませんでしたが、このエリアは人がたくさんいて活気にあふれてたのがよかったです。
博報堂や島津製作所はこのエリアの中のビルがオフィスなんだって!さすがアート系?なのか? 毎日足を見ながら出勤というのは楽しそうですね。
充実の市内散策でした。上海にきて1年経ちましたが、まだ開拓の余地ありです。
ぶらり週末 ~西塘~
久しぶりに上海近郊の水郷へと出かけました。
今回の行き先に選んだのは、西塘。2006年公開のミッションインポッシブル3のロケ地になったことで有名です! トムクルーズが頭に爆弾を埋め込まれながら奥さんを探しにいったあの場所ね◎ 今はけっこう観光地化してしまっているようですが、やはり一度は見に行ってみたい場所です。
今回は夜景を見るのが目的だったので、夕方15時にのんびり上海市内を出発。1時間半くらいで到着しました。
週末だからか、人がたくさんいます。狭い通りにひしめく店と人人人。中国っぽいですねー。
こんな具合に、細い道が多いのが特徴的。ぷらぷらと街歩きをしたけど、事前にもう少しちゃんと見どころを調べておけばよかったかな!
さて、こちらが西塘のメインスポットですかね。河にかかる橋の上からは、いわゆる水郷の街並みを楽しむことができます。
うまい具合に他の観光客が入らなかったので、のんびりした水郷の景色のように映るが、実際は橋の上も人でひしめき合っていて、風情どころじゃなかったのが真実。
川沿いにプラプラと歩いていきます。ここは臭豆腐が有名なようで、いたるところで臭いがプンプンしていました。西塘は元の時代に原型ができたらしいのだが、その頃から臭豆腐があったのかしらん。
そして今となっては若干存在感が薄れている?ようなですが、トムクルーズの看板を発見!ミッションインポッシブルの中国語タイトルは「碟中谍」、でぃえじょんでぃえ。谍はスパイという意味なんだが、あれ、1つ目の碟て何だろう。
2006年と言えばすでに8年前。その頃はきっとまだ素朴な水郷だったんだろうなぁ。よくハリウッドスターがこんな場所まできたよね!
今となっては思いっきり観光地となっていて、こんな孫悟空もどきが橋に座っていたり。
あと、奥の方のエリアはクラブやバーがたくさんあって、夕方の時間からガンガンと音楽が鳴り響き、若者たちでにぎわっていました。ちょっと、、、発展の方向性を間違えているような気がしたぜ。
というわけで、そうゆう場所は避けて川沿いを歩きます。
川沿いの屋根つきの廊下は、廊棚と言います。商人や旅人が雨に濡れないように作られたらしい。風情があってよろしい。
昼間に外灘でケーキを食べていたのでおなかいっぱいだったが、早目に郷土料理を食べられるレストランへ。
このお豆腐は、香豆腐というもので、臭くない。とってもあっさりしていました。でもちょっと特徴にかけたかな?あとは水餃子入りスープ。まぁまぁ美味しかったです。
店で涼んでいると、19時くらいになってようやくあたりが暗くなってきました。
というわけで、遊覧船にのって夜景を見ることに。
8人乗りで、個人客は集まった順に乗せられていきます。船頭さんが1人、ゆっくり船をこいでくれます。川沿いににょきっと伸びる木が印象的だったので写真に収めました。
赤提灯のぼんやりとした明かりがとても綺麗。ここは川幅が狭い水郷なので、去年いった朱家角とは雰囲気が違いますね。どちらかというと、蘇州の山塘街に似ている。
ここはそれほど広くない水郷だったので、半日で十分楽しめました。1泊するほどではないが、夜までいると公共のバスはなくなってしまうので、チャーターできて大正解でした。
もう一度ミッションインポッシブル3を見直して、この場所がどんな風に映っていたか確認してみようと思いまーす。