世界遺産リスト⑪ 秦の始皇帝陵と兵馬俑 ~西安をめぐる旅~
今から約2500年前、春秋戦国時代の中、西方でおこった国家、秦。わずか13歳でその秦の皇帝として即位した始皇帝は、強力な軍事力により、次々と他国家を倒し、BC221年に中国を統一しました。
そんな歴史の大舞台となったのが、今回訪れた陝西省です。
秦の都がおかれたのが、西安近郊の咸陽。そして、秦滅亡後、項羽VS劉邦のバトルを経て劉邦が築いた前漢の都が長安、すなわち現在の西安でございます。その後、隋・唐の時代にも長安はその都として大繁栄を遂げ、政治の中心であるのはもちろん、シルクロードの入口となり、文化の中心としても栄えました。
中国人に聞くと、よく中国人の発展の大部分は唐の時代に終わった、なんて言います。そうです、西安はまさにそんな輝かしい中国の文化遺産の宝庫。2500年経った今でもその面影残る都市を訪れることができるとは、本当に感動的でした。
では前置きはこれくらいに、今回の西安の訪問スポットを振り返りましょう。たくさんあるので、今回は箇条書きでサクサクとね。
- 陝西省歴史博物館
入口を入ると、則天武后のお母さんのお墓から出土したと言われる巨大な獅子像が迎えてくれます。歴史に沿って展示された様々な出土品、充実しています。
- 大雁塔
唐の三代皇帝高宗がお母様を供養するため建立した仏教寺院。シンボルは7層の塔です。
- 青龍寺
こちらは隋の時代に建てられたお寺。なぜ有名かと言いますと、唐代に日本から遣唐使としてやってきた空海和尚がここで学んだためです。我も超広義には、空海の後輩として中国にきておりますゆえ、ありがたくお参りさせて頂きました。
左の丸いのは何でしょう。ゼロに見えるね。空海の故郷、四国と西安の関係は深く、ここ青龍寺は四国八十八カ所のお参りの起点(=零番札所)として数えられます。我、四国は行ったことないのに、恐らく一番の難関であるゼロ番目を達成しました。帰国後に88ヶ所めぐればコンプリートです。
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明代城壁
西安は今も街の周りをぐるりと城壁に囲まれています。唐の時代の城壁を基礎に、明の時代に確立されたのが現存する城壁。一周は14キロ。レンタサイクルで1/4を観光しました。南門からサイクリングを始め、西門へ到達。ここは、まさにシルクロードのスタート地点なのです!!古代、様々な人々がこの門からシルクロードを目指し旅立っていったのですね。感慨深いどす。
歴史はロマンじゃ。
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兵馬俑(世界遺産)
言わずと知れた、西安を代表する遺産。秦の始皇帝のお墓の周りから発掘された兵馬俑。地元の農民が井戸掘りしててうっかり見つけたという、世紀の大発見。
それにしても、秦の始皇帝は本当に絶大な権力をほこっていたのですね。
ちなみにこの発見者がサインしてくるとガイドブックにありましたが、今博物館で座っている人はニセモノだそうなので注意。
今は、掘り起こした場所、三か所の上にそれぞれ建物が建てられ見学できるようになっています。ドキドキしながら、第一坑へ。深さ約5m、東西230m南北60mの空間の中、東に向いて並ぶ38列約2000体(未発掘含めると推定6000体!)の兵馬俑。圧巻です。
ここの場所は歩兵を中心とした主力部隊と考えられています。身長178~196cmの歩兵たち。本当は当時の平均身長はもっと低かったそうだけど、見栄をはったそうな。皆東を向いているのはなぜかって?秦は西にあった国家。東側を向いているのは、他の国家を統一したという意味を示すそうです。さらに、始皇帝のお墓の位置はこの兵馬俑の西側になります。東に並ぶこの兵馬俑たちは、他国家から始皇帝のお墓を守るという重大な使命を帯びていたのですな。
掘りだした時から綺麗に整列していたわけではありません。もちろん倒れたりしてしまったものも多く、それをひとつひとつ発掘しては、並べているというわけ。だからこんな風に傾いて、掘り起こされるのを待っている兵士もいます。それにしても、みんな身分に応じて身なりや髪型が違うだけでなく、顔の大きさや表情も本当に違う。掘り起こした時は色もついていた(その後空気に触れてなくなってしまった)というのだから、掘った人も本物かとびっくりしただろうね。
第二坑、第三坑でも面白い並び方の兵馬俑を見ることができました。
感動のあまり、混じってみました。あと、おみやげにここの土を使って造ったという兵馬俑の3点セットを購入。あ~、我もここの発掘員になりたいです。
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秦の始皇帝陵(世界遺産)
兵馬俑に守られた始皇帝のお墓は、この驪山の下にあります。司馬遷の史記によると、お墓の中にも宮殿や楼閣があるとか。もちろん外からはわからないけど、きっと始皇帝は今もお墓に眠っています。いつかは掘り出されるのだろうか。観光としては、今のところは山を眺めるだけ。
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鴻門宴遺跡
歴史ファンなら外せないのがこちら。鴻門の会が開かれた歴史的な場所も、ここ西安なのですね。基本的に、当時の再現の建物などがあるだけで昔のものがそのまま残っているわけではありません。
ここで宴を開いた二人の武将、項羽と劉邦。項羽側は劉邦を暗殺を企て、宴の席で一人の武将に剣の舞を躍らせ、そのままグサっとひとつき、劉邦を殺そうとします!しかしこれに気が付いた劉邦の家臣。彼がこの剣舞になだれこみ、阻止。その隙に劉邦が逃げたという話はあまりに有名(小学生の時読んだ漫画中国の歴史からの知識に基づくため、細かくはあってないかも)。それにしても、この鴻門の宴で劉邦が殺されていたら、その後の中国の歴史はどうなっていたのでしょう。漢の時代が訪れなければ、隋も、そして唐も起こらなかったでしょう。本当に歴史とは不思議なものです。
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華清池
中国四大美女の一人、傾国の美女として知られる悲劇の王妃、楊貴妃。唐が衰退していったのは、玄宗皇帝がこの楊貴妃(本当は、玄宗皇帝の子供の奥さんだったのを横取り)を寵愛するあまり、政治をないがしろにしたためと。その玄宗皇帝が楊貴妃と遊び暮らした場所が、ここ華清池。温泉施設です。敷地内にある離宮の前は大きな池。その傍らには白居易の歌、「長恨歌」が記されています。この歌の中で、楊貴妃がここ華清池の温泉で美しさに磨きをかけたと歌われています。温泉は、皇帝用、楊貴妃用、混浴用、などなどたくさんありますよ。有名なのがこちら、楊貴妃の像です。
同じポーズ&同じ温泉水をさわることで、美しさにあやかってみる。でもね~、実は楊貴妃って太ってたらしい。当時ぽっちゃりが美しいとされていたのは知ってるけど、160cmで75キロはぽっちゃりを越してるんじゃないかと思うのよね。本当に美しかったのかしら。
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小雁塔
大雁塔から半世紀後たてられたこちらのお寺、薦福寺。大雁塔より小さいから小雁塔とやや安直なネーミング。過去、地震によって一回塔がズレタらしいのだが、これがその後の地震でまたもとに戻ったという逸話もあります。
ここでインドから持ち込んだ経典の翻訳が行われたそう。同じ敷地内にある西安博物院にも行きました。内容としては、陝西省博物館のミニ版という感じ。
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碑林博物館
もともと孔子廟だった場所を、博物館にしたそうです。名前から分かるとおり、ここの博物館の面白い展示物は、石刻の陳列。石碑が林のように立ち並ぶから、碑林博物館なのです。
それにしても、石にこんなに精密に経典の文字が綺麗に掘ってあるとは、本当にたまげます。昔はコピー機なんてないからね、科挙の勉強をする人々は、石に掘られた文字に墨を塗った紙を押し付けて、写して勉強したそうです。
ちょっと面白かったのがこの石碑。一見、笹の絵のように見えるけど、実は漢字が掘り込まれているのだよ。一番右側の「不」という文字が分かりやすいかな。
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興慶宮公園
旅程を相談した旅行社から、「ここに行く人はあまり聞いたことありません」とか言われながらも、我がゆずらなかった場所です。なぜなら、公園の中には、阿倍仲麻呂記念碑があるからです。この碑以外特に何があるというわけではない。でも、ここ長安で活躍した阿倍仲麻呂をどうしても拝みたかったのです。
彼は唯一科挙に合格した外国人ではないだろうか。10代で唐に渡り言語を学び、科挙をパス。時の皇帝玄宗に才能を見いだされ政府要職につきました。李白と仲が良かったことも有名ですね。唐で活躍しながらも、彼は望郷念を抱き続けます。しかし帰国の船はことごとく難破。ついに日本の地を踏むことなく、中国にその一生をささげました。
天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも
彼の望郷の念をうたった歌は、百人一首の一首となりました。我が小学生の時、最初に覚えた歌のひとつです。当時は仲麻呂の感慨などはわからずにただ覚えたものですが、今はこの歌の切なさがよく分かる気がします。
さて、西安の夜は更けます。
回族がたくさんお店を出すこの夜市を歩き、西安を堪能しました。
そしてここ西安からシルクロードを西に進み、敦煌へと飛びました。(次回に続く)