ねぎ子のブログ

congzi's blog

大連・旅順 ~海鮮料理と近代史~

週末ぷちトリップ、今回の目的地は大連旅順です。

大連は1年前に出張で通過しただけでしたが、こじんまりと綺麗な街並みが印象的でした。目的は以下!

@大連:ロシアの影響を受けた街並みをみること、海鮮料理を食べること

@旅順:日露戦争の跡地をめぐり、歴史を学ぶこと

そういえば、陸一心が大学に通っていたのも大連でしたね。中国東北地方はやはり、日本と中国の近代史を理解するうえでかかせない場所だと思います。

 

◆1日目 大連

北京から約1時間のフライトであっというまに大連到着。天気は曇りながら、やはり空気が北京と違います、海に面した街だからね。

  • 早速海鮮をふんだんに取り入れた火鍋を食したのち、大連港をめざす…予定だったのだが、この大連港の展望台、政府のさじ加減で入れるときと入れない時があって、行ってみないとわからないと判明。ホテルからも港は見えたので、今回はスキップしました。でも、大連港ってそんなに大きいわけじゃないんだけど、やはり中国と外国の窓口なんだね。もとは帝政ロシアが作った港に由来するんだけど、今では大連の経済を支える港です。

  

  • 旧ロシア人街
    ハルピンでも感じたこのロシア感。昔ロシア人居住地区だった場所に復元したそうです。いかにも!な街並み。

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    おみやげに買う!と決めていたので、マトリョーシカをゲットしました。ちょっと質のよいのを選んで値切って100元。これでも高いけど、中にいくほど手抜きな顔が多い中、ちゃんとかわいい顔の買えたから満足。

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  • 中山広場
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    大連の中心の広場です。この標識、面白いでしょ。ぐるりと一方通行のロータリーからいろんな通りが出ています。ここの広場の見どころは、欧風の建築群。しかし広場をぐるりと見てびっくり!なんと銀行だらけ!!
    見渡す限り銀行しかありませんでした。

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    言わずとしれた中国銀行(バロック式)の前で。日々お世話になってます。

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    こちらは中国工商銀行だったかな。古いですねぇ。結婚式の撮影たくさんやってました。右端にちょこっと見えるかな。

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    大連銀行。このロゴがなかなかお洒落だね。「連」のモチーフの中にちゃんと「大」も浮かび上がっている!

  

  • 満鉄旧跡陳列館
    日露戦争に勝利した日本が建設を始めた満鉄。その満鉄の当時の会社の様子が見られるらしい、とウキウキいったら。。。4時閉館。現在4時10分。ガビ~~ン(TДT)。外観だけ写真に納めました。無念。

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  • 旧日本人街
    満鉄陳列館に入れず、時間もあったので旧日本人街にいってみることに。大連の街中を走るちんちん電車を利用してみました。風情があって素敵です。ちょっとサンフランシスコっぽい!

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    しかしやはり中国…中は人でギュウギュウでした。。。
    さて、降りた駅のちょうど目の前が、ラッキーなことに大連駅でした!帝政ロシアが1903年に建設した駅を、日露戦争後日本が改築しました。外観は上野駅に似ているそうです。確かにいわれてみれば、こんな2階建て構造だったかな。

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    旧日本人街は、ちょっとした繁華街になっていて、今はもう建物とかの面影もありませんでした。だけど、ここで行列している小チー屋を発見したので、並んでみました。とってもおいしいケーキとごま団子みたいのをゲットしたよ!

    f:id:s_iidada:20130316180231j:plainひひ

      

  • 海鮮料理
    今回の旅行の目玉、海鮮料理は天天漁港というお店でいただきました!わりと高級なお店だったと思うけど、有名店です。
    アモイのときと同じように、水槽で食材の魚やエビを選びます。ニヤニヤが止まらない。

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    調理後↓

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    海老がとてもおいしかったなぁ。大エビの串焼きもあったんだよ。本当に満足しました。海の幸、ばんざい!

 

  • 夜景(テレビ塔)
    大連の締めくくりは、夜景です。テレビ塔のある丘までいって、大連の街並みを見下ろしました。タクシーの運ちゃんが親切で、テレビ塔は夜タクシーもないし暗くて歩いて下るのも危険だからって、我らが夜景見ている間一緒に待って、解説もしてくれました。大連の人いい人たちね~。

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    午後から半日の観光だったけど、大連の街はコジンマリだから、十分に堪能できました。美味しい料理と綺麗な景色に満足して、おやすみなさい。

   

◆2日目 旅順

日清戦争後にロシアが租借、その後日露戦争の激戦地となり、戦後は日本の租借地となったこの地は、中国人にとってはあまり面白くはない観光場所ではないだろう。でも、我としてはやはり一度は訪れてみたい場所でした。

  • 旅順日露刑務所旧跡
    こだわって行き先に加えた場所です。ロシア・日本が刑務所として使っていた監獄がそのまま保管、展示されている。やはり中に入るには少し緊張しました。広大な敷地の中に、監獄や労働場所などの建物が並びます。

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    Y字の一見不思議な形ですが、合理的にこうなっています。中の様子の写真を合わせてみるとよくわかるでしょう。

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    見張り台から、両側の廊下が一気に見られるようになっているのです。そして、監獄はこのような雰囲気。

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    ダウンを着ていても、ひんやりします。真冬はかなり厳しい環境だったと思う。
    なぜここに来たかったかというと、安重根もここで拘留され刑を受けたからです。安重根が実際にいたという部屋もありました。通常は2人部屋のようですが、安重根は独房にいたようです。ここで本を読んだり書いたりしていたと思います。

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    このほかにも拷問台なども見て写真もとったけれど、そこに残る人々の怨念みたいなものを感じました。ここでの掲載は控えておこう。当時は戦争の中通常では考えられない事態も起きていただろうし、今みたいに表現や思想の自由はない時代だったと思います。でもまだその頃から100年程度しか経っていないのだね。近代は本当に激動の時代だったんだなぁ。なんだか歴史の重みをまたずっしり感じることになりました。

  

  • 白玉山塔
    この山には日露戦争で犠牲になった日本兵慰霊のために東郷平八郎乃木希典が建てた碑(高さ66.8m)が残っています。

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    この山は、旅順港を見下ろす場所にあります。天気がイマイチでハッキリとは見えなかったけれど、目の前に海が広がる景色はやっぱりいいなと思いました。

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    この小さな旅順口を奪い合って、ロシアと日本が激しい戦争をしたとは、今の景色からは感じ取れません。ここは冬でも凍らない湾なので、特にロシアはここを抑えたかったようです。

      

  • 水師営会見所
    日露戦争の終結の際に、ここでロシアのステッセル中将と日本の乃木大将が会見を行いました。これは再現した建物だそうだけど、粗末な小さな小屋で、正直、軍の中将や大将がここに滞在したとは思えない感じ。

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    この会見に参加した人たちで撮影した有名な写真があるのだけど、それと同じ場所で写真をとってみました。その写真、乃木大将は笑顔、ステッセル中将は少し硬い表情で写ってると言われてます。でも、日本の方が犠牲者は多かったんだけどね。ちなみに、後ろのナツメの木は当時のものじゃないらしい。がびーん。

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    ここでは、日本語の説明のお姉さんがいたんだけど、説明したのは3分程度、途中からこの小屋の維持のために寄付をお願いします→今なら当時の骨董品を安くするから寄付と思ってどうぞ→お土産やへ入れられる。という展開で少し興ざめでした。向こうも仕事だから、仕方ないけどネ。。

   

  • 203高地
    お次は一番有名な203高地。言わずと知れた、日露戦争の激戦地。乃木大将の次男もこの場所で亡くなりました。調べたら、日露戦争では日本軍は多大な犠牲を出したので、日本で乃木大将への風当たりもかなり強かったとか。でも、乃木大将は二人の息子をいずれも日露戦争で亡くしたので、2人目の次男が亡くなったとき、同情でこの世論はおさまったらしい。乃木大将は次男戦死の知らせを聞き、よく死んでくれたともらしたとか…本音ではないにせよ、普通では考えられない状況です。。。


    203高地は、海抜203mにあるから、この名前がついてます。でも、もともとは海抜206mだったということ。砲弾を使った戦闘が激しすぎて、3m山が削れたんですって。ここにも、亡くなった日本兵鎮魂のための碑がありました。

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    この碑には、「爾霊山」と書いてあります。中国語でよむと、「アーリンサン」=203の発音と同じ。偶然かわからないけど、203mになるべくしてなったという気がしますね。塹壕跡も見られました。

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  • 旅順博物館
    時間に余裕があったため、博物館に立ち寄りました。

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    なかなか綺麗な建物です。もともと、ロシア将校たちが集まるために建てられた迎賓館のようですね。ここの目玉は何と言っても、ミイラです!!大谷探検隊が西域で発掘したミイラがかなりよい保存状態で展示されていました。写真禁止だったのが残念。そのほかは、一般の博物館と同じで、昔の銅鏡とか陶器がおいてありました。展示品よりも、建物そのものの雰囲気がよかったかな。

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  • 東鶏冠山北堡塁
    日露戦争時のロシアの要塞。山の上の分かりづらいところに一部山肌を利用するような形でコンクリで作られています。日本軍はなかなかここをおとせず、203高地と並んで犠牲が多く出た場所ということ。

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    この壁にあるデコボコの穴は全て被弾の跡です。戦闘のすさまじさがうかがえます。日本軍は外から攻撃しあぐね、トンネルをほってこの要塞に近づき、内側から爆破したらしい。

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    ここは2階建ての兵士の部屋だったのが、今は1階と2階の境目がなくなってしまっています。博物館もあって旅順の歴史をたどることができたけど、やはり日露戦争前後が一番激動の時代のように映りました。
      

 

さて、こうして旅順観光は終了しました。旅順はロシアと日本がきて、その借用権をめぐってすさまじい戦闘を繰り広げた場所。当時旅順に住んでいた中国人は疎開し逃げたそうです。今ではすっかり観光地になっているけれど、中国人にはやはり複雑な場所でしょう。
そんなこんなで、たった2日だったけど、大連・旅順を満喫することができました!中国は行く先々で色々な人・味・歴史に出会えるなぁ。